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3、 AKIの中学時代 / ライフステージ開設 |
様々な人々の支えのもと、AKIの中学校生活は順調に進んだ。
没頭する創作活動にも熱を帯び、中1の時にタコとカニの絵。 中2の時にマンモス、中3の時にアリとサンマをモチーフに作品を描き世田谷区民公募展に応募。
そのほとんどの作品が何らかの賞を受賞するようになり、 それをきっかけに世田谷区に呼ばれることになる。
そしてその流れで中3の終わりに世田谷区にてライフステージを開設。
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2003年度毎日新聞社賞受賞作品 |
開設にいたった経緯、理由を父、木下昭はこう語る。
「それまでは変な話、AKIはやっぱり障害を持っているから、ただお金だけを残してあげることだけに必死だったんですよね。
だけど中学生の夏休みのある日の出来ごとがそんな私の考えを変えたんです。」
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話しによると、AKIは家から4駅くらいある場所の図書館に一人で歩いてゆくのが日課だったそうで、その時に必ず200円ほどの小銭を持たせていた。
ある日、そんなAKIの日々の行動に父は興味を持った。時間の感覚もよくわからないのに、毎日図書館に行ってはきちんと帰ってくるこの子は一体どうしているんだろう?
毎日どんな道を通り、毎日どんなことをしているのだろう? |
父は一緒に図書館へといってみることにした。そしてAKIの様子をつぶさに観察してみた。
AKIは、まずお菓子屋さんに入りミネラルウオーターを買った。お菓子屋のおばあちゃんが、いつもご苦労さんねと手馴れた様子で水を渡す。AKIはそれを普通に受取りお金を渡す。それを見て父はハッとした。
お金の勘定が出来ている。いつのまにか一人で買いものが出来るようになっている。 AKIに毎日ここで買うの?と聞くと、”うん、毎日ここで買ってから図書館に行く。”と答える。それを見て父はおもわぬ発見をした気になった。
振り返ってみると、父やまわりの人間は勝手にAKIはそんなことは出来ないと思いこんでいた。でもAKIは気づくと勝手に自分で色々なことが出来るようになっていた。
図書館においてもAKIはきちんと本を返却し、また新たな本を誰に頼ることなく自分で探し、借りる。この頃の父は仕事ばかりで、そんなAKIのことを何も知らなかった。
それを見て父、昭はこう思った。
「いつのまにかAKIはAKIの人生を生きているんだな。自分が勝手に思っていたAKIの人生とはまったく違うんだな。」
そしてああ、俺は(父親として)このままじゃいけないなと思い妻に相談。 AKIにはAKIの武器があってそれを磨いてやればちゃんと生きていけるんじゃないだろうか?
そんなことを話し合うようになった。
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そんなことを経験し、思うところのあった父、昭は東京23区の福祉課へと足を運んでみた。相談することによって何かヒントがあったり、AKIのためになることが出来るんじゃないかと考えたからだ。
しかし現実は酷いもので行政のシステムの矛盾をまざまざと感じさせられた。 全部で200近くの施設などを見てまわったがどれも父の納得のいくようなものではなかった。
「結局障害を持っている子にはレールが決めつけられていて、どんなに障害が重かろうが軽かろうが行政にとっては関係なかったんですよね。障害者というひとくくりで、障害を持った子の個性なんてまったく鑑みられていなかった。
最近はだいぶよくなって来た気がしますが、何年か前はほんとにひどかった。戦後から状態が何も変っていなかったんですよ。信じられますか?」
そんな現実を前に父、昭は”これじゃあ、こういう子たちの人生は無いも同然だな”と強く感じた。そして自分達は自分達で勝手にやるしかないなと強く思った。
その具体的な方法として、障害者それぞれが持つ武器を磨いてあげ、そしてそれを第3者に、それも一般の普通の人に見て、評価してもらう。このことこそが最も大事なこと。これが今あるライフステージ開設の最初の動機となる。
「色々な施設の方法を拝見させてもらったんですけど、やっぱりどうしても内輪のりでしかないなというか、同情心でのみ作品が評価されているものばかりだったんです。でもそれでは、この子たちはいつまでもたっても独立できないだろうなと思いました。だからライフステージでは一般の人々に見てもらえる、手にとってもらえるもの、場所をまず作って、そこから活動していこうと思ったんです。」
そういうやり方だからか、現在、AKIのまわりにはこの業界には珍しく障害関係の人がまったくいない。行政の人も、施設の人も。
いるのは全て表現という同じ土俵で生きるミュージシャンや一般の人々。父が頭に思い描いた理想の形にできたんじゃないかと思っている。障害を持った子も持っていない子も関係なく、独立して生きてゆく厳しさは一緒。そういうことを父はライフステージを通してしっかりとAKIに伝えたかった。
2007年4月個展風景
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こういう一種、異端とも捉えられる考えでやってきたので、理解されなかったりトラブルになったことも少なからずあった。
「だけどそれは仕方のないことだと思うんです。色々な言い分、視点もあると思うんですけどそれでも、障害者としてではなく一人の人間として生きていくためには恐れずに一般の世間に跳びこんでゆくことが大切なことだと思うんです。だから中学3年の時にもらった世田谷区展の賞も、障害者ではなく、ただのAKIとして応募しそして賞をもらったんですけど、これは本当にとても嬉しいことでしたね。」
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そしてこの中学生の頃のAKIに別の側面で、とても重要な影響をあたえた人がいる。それは中学校の担任教師だった。
「中学校の先生も厳しい人で大変お世話になったのを覚えています。障害者でも悪いことをしたら殴るというポリシーを持った先生だったんですよね。挨拶をしなかったらぶつ。間違ったことをしたらぶつ。その当時の環境で凄い勇気のある先生だったと思います。僕はその女性の先生に凄く感謝していて、今のAKIがあるのも一種、その先生のおかげだと思っているところがあります。
この先生の指導によってAKIは随分成長した気がしますね。今、AKIが挨拶をできるのも、他人とちゃんと一緒にいられることもこの先生の存在のたまものです。」
悪いことをしたら悪いことをした。障害者だからと許すことなく指導する養護学校の先生。障害者だっていつかは社会に出てゆかなければならないときが来る。その時、じゃあ、僕は障害者だからって何してもいいわけじゃない。障害者だからって人を傷つけていいわけじゃない。そんなもっとも大切に思えることを、この時の教師はAKIに教えてくれた。
そんなありがたい教師であったが、それでも父、昭と衝突することも多かったという。
「そうはいっても僕自身もこの先生とがすごくケンカしたんです。AKIのことに関して意見があわなくて。
僕は生きていくのは自分・社会との戦いだと思うから、AKIの絵の才能をとにかく厳しく伸ばしたかった。でも先生はそんなことをしたらAKIに負担がかかり過ぎると反対だった。そんな意見をお互いによく戦わしていましたね。」
そんなこんなで、毎日波乱万丈な日々だったが、AKI自身の中学での学生生活は凄く楽しそうだった。そしてこの教師に出会うことにより、父自身も障害を持った子を上から見るわけでもなく下から見るわけでもなく、同じ視線でみることが最も大切なことだと学ぶ。
「この子たちと同じ視線、同じペースでものごとを見てみると様々な発見があるんです。本当ですよ。」

つづく
(文/構成・MIZK http://www.freestyle-life.net/
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